みちのく仙台から、音楽好きのボクとハリネズミがお届けする共同生活の記録です。
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Posted by abeken
 
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仙台に戻りました
はじめに
被災地に向かうにあたり情報提供していただいた方
応援、支援のお話をしていただいた方
本当にありがとうございます。

励みになりました。

また、メールも返信もできずにいた事を
この場を借りてお詫び申し上げます。



被災地がどのような状況なのか
以下、地域限定ですが
被災地の写真と避難者リストです。
有力な情報となれば幸いです。

仙台からは
車で、東松島・石巻・女川に行ってきました。
目的は親、祖母、親戚、友人の安否確認です。
(3月16~19日の情報です)



■写真
□女川町…町が無くなっていました。電気も水もガスも電話もありませんでした。
・第一小学校から女川港付近(画像)
http://photozou.jp/photo/list/1513823/3889361

・女川町立病院から(映像)[広告] VPS


□東松島市 小野側…一部、電気がきてました。
・陸前小野駅から浜市周辺(画像)
http://photozou.jp/photo/list/1513823/3889560


■避難者リスト
・東松島高校
http://photozou.jp/photo/list/1513823/3889784
・小野小学校
http://photozou.jp/photo/list/1513823/3889840
・鳴瀬第一中学校
http://photozou.jp/photo/list/1513823/3890031
・女川勤労センター
http://photozou.jp/photo/list/1513823/3890002
・第一保育所
http://photozou.jp/photo/list/1513823/3889906
・上四区避難所
http://photozou.jp/photo/list/1513823/3890048



親と親戚、友人の安否は確認できました。
しかし、女川の祖母の安否は確認できませんでした。

家も倒壊、町は壊滅的な状態でした。。
まだ、あきらめず探し続けたいと思います。



道中、色々な事がありました。

可能な限り、困っている方がいれば、
食料、衣服を差し上げました。

母を探し塩釜から東松島市まで歩いてきた人を
車で遺体安置所まで送りました。

避難所で
お父さんもお母さんもみんないなくなってしまったと
泣き崩れる人もいました。

最後まで津波から逃げるよう叫びながら近隣の家を回った人。
しかし、その人の遺体が崩れた家の中から発見されたのも見ました。

祖母の家をがれきをかき分け、探し続ける父。


これは全てボクが見てきた現実でした。



両親は、いまだ避難所にいます。
安全な仙台まで連れて帰るつもりでしたがそれは叶いませんでした。
祖母の安否が確認できるまではココを離れられないと
泣きながら話してました。

家族だから、安否がわかれば
いつでもすぐに駆けつけたい。
その思いだけです。

私はそれ以上説得できませんでした。
ガソリンが確保できしだいまた実家に戻り、
救援物資と1階の水没した自宅の復旧をします。



■ボランティアを考えてる方へ
現地では中途半端な気持ちで
ボランティアをしてはいけません。
よく考え、全て投げだす覚悟で向かってください。

もちろんお風呂にも入れません。
食事も少ない。
寒さに耐えなければなりません。
犯罪も多くなってます。
つらい光景もたくさんあります。
被災地の食事や毛布を奪う事にもなります。

私からのお願いは
生きるための前向きな情報を送ってほしいです。
「いまココまで電気が来てる、もう少しだ!」だけでもいいです。
先が見えない中ではそれが支えになります。

よろしくお願いします。



最後に
東北地方太平洋沖地震により被災された皆様には
心よりお見舞いを申し上げます。
皆様の安全と一日も早い復旧を心よりお祈り申し上げます。
私もできる事を探し、いち早く地元の復興につとめていきます。


※この情報は安否を確認されている方、
現地を確認されたい方に向け拡散希望です。
もし仙台から女川までの道路状況や
情報を知りたい方がいればご連絡ください。
わかる範囲でお答えしたいです。


※ハリーとボクは十分生活できます。
支援のお話はもっと困ってる方にお願いいただけたら
ふたりは嬉しいです!

Posted by abeken
comment:7   trackback:0
[未分類
comment
この記事のリンクをTwitterで拡散してみました。どこまで拡がったかはわかりませんが、少しでもお役に立てればと思いますので、今後も拡散を希望される情報があれば掲載していただければと思います。
2011/03/22 13:00 | URL | edit posted by マサケンジャー
ご無沙汰してます。

俺の妹家族、嫁の実家は仙台だったので大丈夫でした。

俺の母親が今も生きていれば、
きっと多賀城に住んでいたはず。

その時は、確かにabekenのように、
ガソリンを何としても入手して、
車に積めるだけモノ積んで向かうはず。

でも、全て”はず”の話。


実際に行動しているabeken、
スゴイなって思います。


今の俺には、
家族や友人に郵便で小分けにした
食料などを送ることしかできないけど。

まずはできることから。
そう思ってます。


会社もキツい状況だって、
人事部長から聞いたけど。
力を合わせて、立て直してください。

応援しています。

家具転倒防止伸縮棒が
通常出荷される、その日まで。
2011/03/22 10:32 | URL | edit posted by クロ8
何をコメントしたらいいのか・・・何度もこのブログに来てはコメントできずにいました。
全く見当たる言葉もなく、つらい現実で頭がまっ白になりました。

福島の姉は余震と原発に、日々恐怖を感じて生活しています。
仕事の関係で避難はしていません。
でも、精神的に不安定になっています。

日々刻々と変わる原発のニュースに、気がついたら私、下の前歯が欠けちゃいました。
爪を噛んでいたようです。

日本のいろいろな所から、こんなにも辛いオーラが出ているのだから、神様もきっと手を差しのべて下さるだろうと、強く強く願っています。

おばあさま・・・見つかりますように。
原発抑え込めますように。

そしてみんなが家族と会えますように。

私は強く願いつつ鶴を折っています。



2011/03/21 20:05 | URL | edit posted by ema
無事たどりつけていたようで安心しました。
おばあちゃん・・・そうですか。
お辛いですね。
街の姿や家族の事、でもこれからのことを考えて生きなければならない。
落ち込んで泣いていられないのが更に辛い・・・ですよね。
なんと言っていいのか分かりません。

ただ、泣くのもいいみたいです。
泣いて喚いて悲しみを体からちょっとでもだしちゃえば、すこし軽くなるから。

おばあちゃん 無事だといいな。見つかるといいな。
祈ってます。
みんなが会えることを。
そのくらいしか出来ないのが申し訳ないです。

無理しないでね。
ちょっとずつ、休み休み頑張ってね。おとん・・・
2011/03/21 11:58 | URL | edit posted by 日下ヒカル
abekenさん。とても心配してました。
私なんかがコメントを書く事に躊躇しましたが、済みません書かせて頂きます。
報道で知り得る以上の現実的な情報を知り、被害状況に涙が出ます。
私は東京ですが、地震の恐怖が消える事は未だなく、被災地の方々を人事には思えません。
微力ですが私にも出来る事をさせていただきます。
abekenさんのご家族の無事を心から祈ってます。
2011/03/21 02:44 | URL | edit posted by ちーたん。
御祖母様が無事に早く見つかる事を願うばかりです。

写真見させていただきました。この写真が震災前よりも復興後と比べられることが早く来るよう祈るばかりです・・・。

埼玉から、間接的で経済的な方法でしか手を差し伸べられませんが、被災地に一日でも早く平穏な日々が戻りますように。
2011/03/20 21:35 | URL | edit posted by OsaNai
辛い現実を直視して、ショックも大きいかと思われます。
こちら阪神淡路では水でなく火だったのですが、それも辛かった。
生き残った人が罪悪感を抱いてしまって、心に傷を受けてしまったり。
できれば、生き残った人はただそれを喜ぶだけでいいと思うのです。
生きて、悲しみと苦しみを乗り越えて欲しいのです。
どうか、ご家族や周りの方がそんな苦しみに落ちないように。
そう願います。

私にできるのは義援金を送る事くらいしかありません。
でも、いつか必ずみんなが苦しみを乗り越えられると信じてます。
2011/03/20 20:17 | URL | edit posted by ちろり
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